2017年2月26日日曜日

愛語は肝に銘じ、魂に銘ずる

人を褒め、共感する言葉「愛語」は、巡って本人に届くことがあります。  
直接耳にするのはもちろん嬉しいし、面と向かわないで巡り巡って伝わってくる「愛語」も、心に深く響いて忘れられません。

哀しい哉、人は承認を求める生きもの。
他人の目を気にしてばかりでは情けないですが、とはいえ信頼している人、尊敬している人から頂ける愛語は、どんな贈り物よりも嬉しい。

最近、続けて愛語を頂く幸せに預かり、深くそう思いました。 

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【道元禅師「正法眼蔵」菩提薩埵四摂法より】
面(むか)いて愛語を聞くは面(おもて)を喜ばしめ、心を楽しくす。
面(むか)わずして愛語を聞くは肝に銘じ魂に銘ず。
愛語能く廻天の力あることを学すべきなり。
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「愛語」は肝に魂に刻まれます。
ひいては、世の中を動かす大きな力さえ持つ。
適確に言い得たこの教えは、800年前の智恵です。
先人の偉大さが染み入ります。

2017年2月17日金曜日

四苦八苦から今への因縁生起を考える

広い温泉旅館の迷路のような所をあちこちウロウロしていると、すれ違う集団の中から“2歳くらいの息子”が自分を見つけて、お父さん!と嬉しそうに抱きついてきて離れない。
その一点の曇りもない信頼感だけで身を委ねる息子のぬくもりと重さに、涙が止まらなくなって目が覚めた。
ごく稀に、眠っていて夢との境目がなくなる場面で、堰を切ったように涙が止まらなくなることがある。

中2・小5にもなると、子も親同様それぞれが自分のことで忙しい。
でも子ども達はふとした瞬間に、幼い頃のような接し方をしてくる時がある。
気づかずにさっと流してしまって、後で、あ、しまったと思ったりする。
自分がこの世に生まれてきたのはこの子たちと出会うためだったと確信していた10年前のあの頃を、今朝の夢は突然思い出させてくれた。
時折、夢は現実以上にリアリティをもつ。

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捨て身でヤケを起こして日々を過ごしているな、と思う時がある。
そんな時、失うものなんて所詮何もないとも思っている自分がいる。
それは、どこかに自己嫌悪と、求めるものを得られない(求不得苦)、どうにでもなれという気持ちに原因があることを自覚している。

仏教の四苦八苦は究極の真理で、生老病死に加えた4つは、苦しみの中身はすべてこの4つに尽きるではないか、と思う。

・愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
・怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
・求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
・五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと

しかし、すべては繫がっていて、これまでの文脈や無数の縁があるからこそ、今の自分があることを忘れてしまってはいけない、ということを、今朝の夢が思い出させてくれた。
涙は、愚かさやこだわりを洗い流す効用があるのかもしれない。

2016年10月15日土曜日

浦安の史跡巡りの第二弾

2015年4月に浦安市文化財マップをもとに、自転車ですべて巡った。
当代島善福寺から、堀江地区(清瀧神社周辺)、猫実地区(豊受神社周辺)。

今回は堀江地区で浦安町役場跡を過ぎてから、前回一番印象に残った浄土宗の「大蓮寺」をスタートに散策開始。

「大蓮寺」の小さな参道が好きである。水子地蔵を祀っているが、何とも静寂な雰囲気で、では法然上人像と対面。『願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国』の文字が並ぶ。
1544年に小田原から移築されたとされる古刹。浄土宗鎮西派、大本山増上寺の末寺。

続いて、おびんずるさまの「宝城院」(新義真言宗豊山派)を横目に、清瀧神社から宮前通りを渡って、フラワー通りを進む。

浦安最古の建築(といっても明治に建てたもの。明治以前のものは全くないという街)の旧宇田川家住宅の前で一枚。旧大塚家住宅は入り口看板のみ。

のどかなフラワー通りの突き当たりまで行くと、地域は猫実に。
手前に、日蓮宗「正福寺」。
日蓮像がある前のベンチは落ち着く。二番目に好きなお寺。
「しなび地蔵尊」「浄行堂」という二つの見どころがある。
明治13年の大火事で燃え、大正11年に再建。

すぐ隣が真言宗の文字より豊山派の文字が大きい「東学寺」は、入り口の駐車場で若者達が引っ越し?のような作業をしている不思議な風景。
東学寺も、明治13年の大火事で焼け、大正4年に再建。

ここから境川を渡る橋が「境橋」。「おっぱらみ」「境川」の説明がある看板はここ。

その先には比較的広い敷地の豊受神社があり、隣が新義真言宗の「花蔵院(けぞういん)」。
ここも良い。前回は、檀家さんが集まって法事中でなかなかずかずか入れなかったが、今回はゆっくり巡る。
この寺にある「公訴貝猟願成の塔(こうそかいりょうがんじょうのとう)」は、三番瀬で船橋の漁師との争いで死んだ三名の浦安漁民の冥福を祈って建てた塔というように、漁村時代の名残を感じることができる。
1293年の大津波、1713年の暴風雨、1857年の大地震と、何度も本堂は破壊され、現在は大正5年に再建されたものという。

今回のコースは、今後もお気に入り定番コースになりそうだ。







2016年7月17日日曜日

久留米市の寺町参拝

7月17日は、玉名市の役目を終えてから久留米市へ移動して、石橋美術館で「石橋美術館物語」の特別展を観た後、中央公園ののどかな中を通過して、やはり寺町に足を延ばした。

・真教寺:真宗大谷派
  メールだラインだとおかしな標語が掲げてある。佇まいは真宗らしくなく、古めかしさが残っている。
・浄顕寺:真宗大谷派
  入口の花が美しい。この時期、この浄顕寺の花が唯一だった。
・西方寺:浄土宗
  「草木がお日さまを目指すように夢や希望へ伸びてゆこう」が標語。仏教である必要がない…。    
・誓行寺:浄土真宗
  この浄土真宗の寺も重厚な佇まいで、真宗らしくない。
  阿弥陀経を唱える声が、男女子供の靴が並ぶ本堂から聞こえている。
・妙正寺:日蓮宗
  入口の標語が傾いてしまっている。
・妙蓮寺:浄土真宗
  小さな浄土真宗らしいアットホームな佇まい。
・正覚寺:曹洞宗
  本堂が奥まった位置にあり、山道・山門という作りになっているが、小さい寺。
・千栄禅寺:曹洞宗
  1610年開山たが、ブリヂストンの石橋正次郎さんが寄進改築を行った結果、したことからか、石橋美術館ばりの洋風レンガづくりの寺院で、曹洞宗でこのような佇まいの寺院は初めて観た。衝撃的だった。本堂内にはステンドグラスを想起させる色ガラスさえあり、ほとんど教会という様相である。
・妙禅寺:日蓮宗
  入口のアルミサッシのドアが安っぽく見える。
・善福寺:浄土宗
  水子地蔵尊と入口にある。本堂は新興教団をイメージさせるような建物。
・徳雲寺:臨済宗
  珍しく、壇信徒以外は立ち入り禁止を掲げている。観音像が目に入り、三十三観音霊場とある。
・遍照院:真言宗
  庭園が有名らしいが、かなり手入れが悪く、一番廃れた怪しさがあった。八年前のガイドブックでは寺町の代表寺院がこれだった。寛政の三奇人の一人高山彦九郎の墓地あり。 
・少林寺:臨済宗
  少林禅寺とも。
・医王寺:真言宗
  奥まった位置にある独自の雰囲気をもつ。弘法大師像が目立つ。
・本泰寺:日蓮宗
  神社のような赤い山門が目立つ
・宗安寺:浄土宗
  壇信徒が次々やってきて、一番賑やかだった。
・心光寺:浄土宗 
  地味。
  
30度を超える中、一万歩以上を歩いて17のすべての寺町の寺院を参拝した。

2016年7月16日土曜日

博多の寺巡り

熊本は玉名市の出張で博多に前泊。

7月16日朝、博多の寺町を散策。
ホテルアクティブ!博多から、博多区役所を通過して北上していくと、藤田公園という蝉の鳴き声で何も聞こえなくなるような公園の前を通り越し、承天寺通りに。
ここだけが見事な風情でとても落ち着く。かなり新しく奇麗にされた感はあるが、清々しい。
・承天禅寺:臨済宗
  承天寺ともいう。風情ある広々した佇まい。壇信徒のみ入れる石庭も入り口から覗いて撮影。
・乳峰禅寺:臨済宗東福寺派
  寺の名称に乳の漢字は珍しい印象。臨済宗らしく上から目線で入口の標語は気にくわない。
・妙楽寺:
  妙楽禅寺とも。名士の墓が多いらしい。ういろう伝来の地という石碑があった。
・圓覚寺:臨済宗
  円覚禅寺とも。鎌倉の寺と同名。
・聖福寺:臨済宗
  なんと建仁寺以外に栄西禅師が建てた寺が博多にあったとは。建仁寺派から現在は妙心寺派とのこと。
  大きな構えで建物も庭も美しいのだか、あちこちに「写真の無断撮影は禁止する」というのがいけない。誰もいないので、当然撮影したが。
・東長寺:真言宗空海創建とされる。
  平成4年に国内最大級とのうたい文句で「福岡大仏」を安置したが、観光集客目的丸出しだったので、寄らず。真言宗らしい節操のなさと派手さが、周辺の臨済宗寺院と一線を画していた。

チェックアウトに間に合うようにホテルに戻ったのが10時。新玉名へ。

2016年2月18日木曜日

莫妄想 刹那主義 でいく

目の前のことより、あれこれと頭の中でこねくり回すものが「妄想」。

思えば、今日あった出来事を頭で反芻したり、後悔したり、明日どうするかで頭がいっぱいになったりして、家族からの語りかけに上の空になっていることが頻繁にあります。

「莫妄想(まくもうぞう)」、「妄想するなかれ」です。

目の前をおろそかにするしわ寄せの積み重なりは、最後は自分にツケが回ってきますので。


もう一つ。

「人の一生とは、一刹那だけです」とは釈尊の言葉。

「刹那」という時間の最小単位をさす仏教語は、人生にあるのは刹那だけであり、人生はその刹那の積み重ねで構成される、という考え方の根本です。

刹那主義というと、自分の快楽を優先して、今さえ良ければ後は知らないという無責任な生き方として、一般には決して良い使われ方をしません。

しかし本来的には、今、その瞬間を大切にして歩んでいくことが「刹那主義」ということになります。
考えてみれば、目の前のこと、目の前の人以外、「私」が対峙出来るものはありません。色々先のことを想像したり、勝手に予測したりすることはできても、実際には目の前、刹那としか対峙しえません。 刹那をどうするかだけが、三次元の世界における私の全てです。

そうなると、一瞬一瞬の刹那、目の前のことをどれだけ大事にできるかどうかが、突き詰めれば人生の全てとも言えるように思います。

「莫妄想」、「刹那主義」でいく。

そのためにも、口にする言葉には心を込めて安らぎに満ちたものにすることを心がけ、笑顔で接することが大事になるのだろうなあ、と思ったりした長い病床でした。

2016年2月1日月曜日

他人を利するためにできること

もともと20代からプライベートが仕事より比重が大きかった人間ですが、いわば「運命共同体」である家族ができた時に、今後人生で何を大切にしなければならないかがハッキリしました。

それから心がけてきたのは、早く家に帰ることです。

家族が「家」という空間に幸福と安心を感じる、そんな場にするために、出来る限りのことをする。

業務時間中は出来る限りの効率で働きますが、早く帰宅し、語らい、ふれあう毎日を繰り返すことが、何より互いの健全な魂を育くむと信じています。

「忘己利他」「自未得度先度他」「衆生無辺誓願度」「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」・・・。

他人を利することを第一に考えるという仏道の教えは幾らでも出てきます。

では、自分の生活に置き換えて具体的に実践するには一体何ができるか。
一人の人間がすべての衆生を救うなんてことは出来るはずはしないし、それは思い上がりか勘違いでしかないでしょう。
となると、まず自分の一番近くの有縁の人、私で言えば家族のためにやれることをやるということが、最も理にかなうのではないか。
もっとも家族の話題は、人それぞれ事情がありますから普遍化できないことは承知しています。

ただ、毎日遅くまで仕事ですよ…、休日出勤が続きまして…、休みは家で宿題(仕事)ですわ…、趣味といったらまあ仕事ですかね…・・・
それを誇らしげに言う人とは、多分相容れる部分はありません。

言いたいのは、家族のような「最も親しい『縁』を持つ人」との関係を軽視して、まともに人生を全うすることはできないということです。

仕事一辺倒の人、あるいは自分より大切な誰かがいないのかな、と感じる人を、どうしても信用できない理由はそこにあります。

(外的要因からの文脈ではなく)「おひとり様」などと自分に「様」までつけて、自分中心に生きることを正当化して使っているのを耳にすると、ただの「自分様」だろうとさえ思います。
歴史的にも世界的にも、家族を大切にしない時代・民族は稀と思っています。

それは病んだ世界です。

現代の日本、もっと言えば高度成長期以降の日本は、その代表的な「家族崩壊」系の社会といって過言ではないと思います。私たちの親やその上の世代からです。

家族等より明らかに縁遠い会社の人間関係等を優先させ、他人にも強要してきました。

その価値観を引きずっている人がどれだけ多いか、長年社会にいればわかりますし、現代日本の深刻な社会課題の根源はここにあると感じています。

今、10代・20代の若い人たちがその価値観へのアンチテーゼともいえる方向で、システム化・仕組化されすぎた社会の殻を割ろうとする姿に苦言する大人が多いですが、私はむしろエールを送りたい。それは長い目で見ると正常な行動と思えて、嬉しくなるのです。

社会的ステータスがフリーターといわれようが何だろうが、家族(有縁の人)を大事にするという基本姿勢を持つ人の方が人間の自然な姿であると思っています。

かなり突っ込んで書いたので、不愉快な思いをして読まれた方もいらっしゃることと思います。

すみません。でも、これは自分への戒めでもあるんです。

冒頭の「早く帰る」の例外として、一刻を争う災害対応は、家族の理解を得て、時間の縛りから一旦解放する位置づけをしてきました。
しかし毎年災害は絶えず、一年のうち、結構な時間を災害対応に費やすのが現実。

そして最近は結局それに引きずられるように、それ以外でも早い帰宅ができなくなりつつある。

そう考えると、心がけると言ったことが実行されていないことへの自己嫌悪と同時に、出来ていないからこそ、このことは意識し続けたい、と思うのです。

2015年12月26日土曜日

使いたくない「頑張る」と「努力」。


昨日の「縁」とも密接に関係がある話と思いつつ、こちらはひねくれ者と思われても仕方ないかもしれません。

*****

どうしても好きになれない、使うのも耳にするのも抵抗がある言葉
「頑張る」と「努力」。

被災地を巡って、必ずといって良いほど目につく言葉が「(災害/被災に)負けるな」「頑張れ」という文字です。

地震等の天災に対して「負ける」「頑張る」というのは何でしょう。
その境遇に悲観したら、絶望したら、負けたことになるのでしょうか。
天災に対して勝ち負けで語ることは思い上がりだと思います。
また、被災者を鞭打つ言葉でしかないと感じます。
被災地自身から出た言葉として「頑張ろう○○」(○○は被災地名)がよく使われますが、自分が被災者だったら正直「違うだろ?」と返したい(実際東日本大震災時、そう思いました)。

仏法にいう「頑張る」は「我を張る=自分への執着」です。

日常に何気なく使っている「頑張る」も決して意味が異なるとは思いません。
「苦しさに負けず努力する」というニュアンスでしょうか。
なぜ苦しさを感じるのかというと「思うがままにならないもの」を「思うままにしようとする」ため。
その苦しさを超えるためにする努力は、ますます思うがままにならないものを思うがままにしようとする「苦」に他ならない。

これは仏法の「精進」とは異なる、人を幸せにしない行為であり心のベクトルだと考えます。これも重要な精神の一つである「中庸」からも離れる方向です。


そこで多くの日本人が大好きな言葉「努力」です。

努力こそ尊いと言ってきたこの国の教育・一般論に対して、私は、

「努力したからこそ報われない 」

という世間常識の逆説が真理ではないかと考える人間です。

思い通りにするため、こういう結果を出してやるという思いがあって「努力」するわけです。

それは言い換えれば、現状に満足できないから。

現状が気に食わないことを公言するのと一緒なのです。
なおここでは、好きで夢中になっていることに「努力」という言葉は使わないとします。

途中経過、プロセスを楽しむ、プロセスにこそ意義を持つ場合、やはり努力とは言いません。

あくまでも、結果のため、今の状況から結果を変えるために、歯を食いしばって取り組んでいる状況が「努力」。
そう「努力」を定義すると、その行為に尊さを感じることができません。

努力至上主義は『自力思想』です。

人は頑張れば目標を実現できる、努力こそ成功の王道、努力こそが道を切り開くってやつです。

対して、流れに身をゆだねつつ、結果ありきではなく、目の前のことに念を入れて取り組む、という姿勢の根底にあるのが『他力思想』だと思います。

『努力は神への宣戦布告』。

作家小林正観氏が言った私の共感する言葉です。

そのとおり、運を味方にできない姿勢。だから報われない。
思いを持たず、流れに身を任せ、夢中になれることは楽しんでやる。

努力「しても」報われない。
のではなく
努力「したから」報われない。

すると必ず、努力なくして人間は進化しない! という反論が聞こえてきます。

でも本当に努力が進化の元なのでしょうか? 
「流れに身をゆだねつつ、結果ありきではなく、目の前のことに念を入れて取り組む」。

これではダメですか? 

努力至上主義が善とされる時代にそろそろ終止符を打つべきと思っているのは私だけではない気がします。

「縁」の他に「他力」も生きる灯火の一つです。

2015年12月25日金曜日

縁の不思議

「縁」の不思議を想います。

「縁」といえば、人と人とのご縁のような使い方をしますが、仏教では「因縁果」といって万物に当てはまる法則です。

世間では「因果」を強調するが故に「縁」の大事さが忘れられがちです。

仏教は宗教でもあり人生哲学でもあり科学の要素も持つと言われますが、仏教が明らかにした「縁」という真理に気づかされた時の衝撃は大きかった。

現実には「1つの原因→1つの結果」などというものはありません。
その結果に至る間に無数の「縁」があるという厳然たる事実があります。

自分に大きな影響を与えた物事や人について、振り返れば、様々な縁がないとそこにたどり着かなかったことがわかります。
次々と、どうしたものかと思えるような出来事が身辺に起こりますが、後に考えると、それを乗り越えるには、何か、自らの計らいでない力が働いていたことに気づかされます。

絶妙なタイミングで誰かが助けてくれていたり、複数の事象が物事の流れを別の方向に導いてくれたり…。

また、解決策を実行したとして、そのアクションに至ったのは、思いがけない閃きであったり、再現し得ない火事場の馬鹿力とも言えるものだったりすることがあります。

救ってくれる環境が現れ、閃きやアクションを内面から働きかけてくる何か…。

そこには自力とは対極の力学が働いていると思え、「縁」が支配していることを感じます。

自分はこうしてああして、こんな結果を得るんだ、と気合いを入れても、所詮自分を取り巻く無数の「縁」を先読みすることはできません。

また、自分の思い込みから導かれる目標や目的は、人生の大きな流れの中では、見当違いもあるでしょう。

結果が良いことなのかまずいことなのかだって、正確に言えば自分ではわかりません。その時の善し悪しの評価が、何ヶ月後、何年後には逆転することもあり得ます。

このことから思ったのは、流れに身を任せることが、最終的には最良の解決方法なのではないか、ということ。

一方で、縁が活きるかどうかは、良き縁を呼び込むような日々の生き方が大きいと思います。

加えてアンテナをしっかり張っておくことが重要と思い始めています。

アンテナが機能していないと始まらない縁があります。

結果はわからない。でも自分の直感・第六感を大事にして、「流れ」が何かを見極める観察力を磨いて、流れの中で動いてみることが良縁に結びつくことも多い気がします。

縁を信じて流れに身を任せれば、途方に暮れた状態が延々続くことはないし、事態がどんどん悪くなり続けて止まらないということもないのではないか。

縁は、偶然の巡り合わせとも言えることの積み重ねによって、計らいが及ばない成るべくして成った結果。

そう思うと今の自分の置かれる状況が感謝につながります。

そんな物思いに耽るクリスマスイヴの夜。

子どもが寝静まったところで、そろそろ親の一仕事かな(^^ )